
[24/12/18 5:00]
おはようございます。岡崎です。
本記事では、現役の社会科学/人文学の大学院生である著者・岡崎良が、自分の学部卒業論文の執筆体験談を踏まえながら、巷で話題になっている論文執筆術の書籍である『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(阿部幸大)を読んだ感想を皆さんに共有させていただきます。
「アカデミック・ライティング」というと大学生・大学院生向けの内容であると感じられそうですが、必ずしもそうではありません。高校や、早ければ中学校の学生であっても、大学に入って急にアカデミック・ライティングが要求されるわけではなく、中等教育においてももちろんアカデミック・ライティングにつながる読み書き力が教育されています。
例えば高校生の方であっても、アカデミック・ライティングの何たるかを知っておくことは早期に非常に大切であり、本記事はそうした読者をも想定して基本的なところから、著者岡崎の実体験や考えを踏まえつつアカデミック・ライティングの基礎についての記事に仕立てています。
まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書
まず、「アカデミック・ライティング」という言葉について軽く確認します。アカデミック・ライティングとは日本語に直すと学術的執筆法となりますが、人文・社会科学において、アカデミック・ライティングが要求するスキルセットは、かなり厳格に定められています。
例えば、アカデミックな文章は学術的誠実性を守らなければいけず、剽窃を行ってはいけません。また、研究で考慮すべき倫理的側面についても明確に示される必要があります。剽窃の防止と関連して、論文のアイディアが著者のオリジナルなものであることも必須要素です。学術論文は、基本的にこれらの側面が順守されている必要があります。
本記事前半では、そういった論文としての最低限事項について触れた後、阿部が議論している「アーギュメントについて」また、「ライティングについて」を私の感想・考えを交えながら解説していきます。
剽窃の防止
まずは、基礎中の基礎として、すべての学生・研究者・著作家が知っていることですが、剽窃の禁止が挙げられます。何をそんな基礎的なことを、と思うかもしれませんが、学問的誠実性(Academic Integrity)とは、他人の考えを奪わずに新たな知識を生成する際に守られるべきルールやマナーの束であり、その根本である剽窃については何度再確認しておいても良いくらいです。
論文がオリジナルである、とはどうやって証明できるでしょうか。阿部は、アーギュメントが成立していること、を一つの条件として挙げています。アーギュメントにおいては、先行研究が学術領域において会話を行い、問題提起と論証作業ののちに結論を出す、その「学術的対話」が行われます。剽窃が行われていれば、この学術的な対話プロセス自体が他人の模倣であるはずで、オリジナルではなくなりますので、剽窃防止のためには、論文がきちんとした構造のアーギュメントを備えているかを確認することも有効です。
その点が守られていれば、確実に論文は剽窃ではなく独自のものといえるでしょう。ただ、基本的な「剽窃禁止」の原則のいくつかを確認すると、例えば、「コピー&ペースト」禁止や、基本的には生成AIに頼りすぎることの禁止、自己剽窃の禁止等が挙げられます。
また、剽窃と並んで、学問的誠実性を構成する要素として、倫理的考慮欄(例えばインフォームドコンセント)等が抜け落ちがちであることにも注意です。インタビューの対象に内容と目的をきちんと説明して同意を得ていることや、著作権に十分配慮していることなど、倫理的考慮は研究によって異なる要素から構成されますが、これも学術の大事な一ステップです。
オリジナリティの確保
「オリジナル」な論文を書くというのは特に学部レベルの初学者には非常に難しいことです。高校時代からその分野に親しんできた学生や、博士課程の学生であれば慣れてくるものですが、大抵の初めての論文は非オリジナルです。また、オリジナルではあっても「銅鉄実験」のように、あまり学問的に貢献度の小さい発見でしかないものもあります(銅で実験結果が出ている実験を鉄の素材で繰り返し、異なるデータを得るタイプの研究は銅鉄実験と呼ばれている。ちなみに岡崎は本書を読むまで知りませんでした)。
オリジナルかつ意義のある発見を含む論文を高校卒業の時点で書き上げることができる学生がいれば、その人はもう何もかもすっ飛ばして博士後期課程に進む実力を備えています。それくらい、オリジナルなアーギュメントとは、論文において大事な中核的な価値です。
私の学部時代の国際関係論の卒業論文においては、世界の特定地域における経済の地域協力、つまり金融取極めの規範的効果測定を試みましたが、これも真にオリジナルな論証であるとは言い難い物でした。そもそも、今振り返ると先行研究が十分に読み込めていなかったことが理由となって、「規範的効果測定」「経済制度の効果測定」といった研究がどのようにして正しく行われるかを十分に理解できない状態で卒業論文を執筆していました。
その反省点としては、そもそも経済的な知識に薄く、通貨スワップ協定の研究に疎かった事実や国際法的に、あるいは国際機関や地域の政府にとって地域金融取極がいかなる目的・意義で運用されてきた制度だったのかの知識不足が挙げられました。
これを、オリジナルなテーゼを論証する(=アーギュメントを含んだ)論文にするにはとても苦労が大きそうですが、関連国際法・国際政治経済分野についての調査を行い、必要な著書や論文を読み、可能・必要であれば関連する諸制度の知見を持つ人々の話を聞き、地域金融取極について十分に把握したうえで執筆を行うことが求められていたと言えるでしょう。
理論のスムーズな伝達性
また、理論がスムーズに読者に伝わるという事も大切な事項です。論証のプロセスは、社会科学であれば再現性を持つことが重要視されるし、人文学であってもそれが十分理解可能であることが必要条件として求められます。
どんな論文、学問的主張も、先行研究を踏まえた一つの理論であることに変わりはありません。それが実証的(empirical)なものであれ規範的(normative)なものであれ、論文は主張と論証、結論と限界のひとつのパッケージとして、型に則っていればこそ、適切な理解と評価を受けることが可能になります。
スムーズにアーギュメントを理解してもらえるようにするためには、適切な順序を踏んだ論理展開を用いて、論理関係をわかりやすく整理することが求められます。これは私にとっても目から鱗の観点でした。阿部が著書後半で触れている「Uneven U」と議論の抽象度の話は、本記事の後半部分で細かく解説しますが、とにかく議論をわかりやすく書きましょう、という文章術が具体的に示されていました。この本を卒論執筆時に読めていたら、と非常に悔しい思いと共に、これから非常にお世話になる考え方だという確信を抱きました。
アカデミック・ライティングの本質
アカデミック・ライティングは、著者が述べている通り、書く力と読む力が共通して要求されるスキルセットです。論文投稿やゼミのレジュメに限らず、アカデミックなすべての場に適する書き方・読み方で構成され、これを守ることを意識すれば、誰でも間違えのない論文を書くことができます。また、これを守る意識自体が大学等で非常に有益な訓練になり、自分の思考や理解が深まります。
つまり、本記事冒頭でも述べた通り、アカデミック・ライティングが上達すればするほど、「学問力」あるいは「学問的論理力」そのものが向上し、議論が上手くなります。逆に言えばですが、豊富な知識を持っている学生や自分は論理力が高いと考えている大学生であっても、意外とアカデミック・ライティング(すなわち、適切なアーギュメントを設定し、テーゼを論証する力)が育ち切っていない、という事でもあります。
アカデミック・ライティングは本質的には、正しい手順を踏んで正しい命題を論理的に展開するという力です。この論理力の基礎がいったん身につけば、文章を読めるようにもなるし書けるようにもなります。
特に有益なのが、この力に言語は関係ないという点です。日本で学んだら高校英語程度の力でも英語論文も読めるようになるし、外国で学んでも日本語の論文にも共通の法則が適用できます。アカデミック・ライティングは学び得なのです。
アーギュメントを頑強なものにする
アーギュメントは、どんな議論にも存在するべきですが、著者の考えによるとそもそもアーギュメントが存在しない論文(の出来損ない)が存在すると言います。その解釈によれば、アーギュメントが要件を満たしていない論文やそれに基づく稚拙な議論は、学術的にすべて間違っているという事になります。例えば大学の講義やゼミで基礎概念を扱う際など、入り口や概説段階においては議論が十分アカデミックでないこともあるでしょう。しかし、査読誌等において議論がアカデミックであるためには、厳格なアーギュメントの要件というものが満たされていなければいけません。
立派なアーギュメントとその論証の作業が論文で言語を用いてまとめ上げられるには、何が必要だと阿部は述べているでしょうか。それは、「長いパラグラフ」と「適切な議論」です。
充分な分量を備えたパラグラフ
パラグラフの長さは、客観的な論文読解・執筆能力の基準だと阿部は説明しています。優れた著者は、長いパラグラフ(ダブルスペースで英文紙面1枚分が目安)の中で、具体的な事実から抽象的な議論までをうまく架橋し一般化し議論を行うとします。
つまり、物理的に長いパラグラフを書けるようにすることが学問的な力を伸ばす近道トレーニングだと阿部は教えます。そしてこれは事実です。研究者くらい専門性の高い職業では、短い文章はウケが悪く、文章が長くなる分には、その中で正しい論理が扱われていれば全く問題は無いのです。だからと言って論文一本を一段落で書くわけではありませんが、段落数を減らして、扱う概念の数を減らすことで、専門性の高い議論を実現することができる、というのが阿部の主張の概要です。
非常に面白い小ネタ的事実なのですが、実は『まったく新しい…』書籍自体も1章10000字で書かれているそうです。字数を強制的に区切るという発想は無かったため、私もこのトレーニングを試そうと思います。
論文の質を上げる
また、論文の質を上げるには、パラグラフ内にて行われる議論の質が肝要です。どれだけ長くても、「冗長さ(redundancy)」は論文において嫌われる要素のひとつです。長い段落の中で、適切に、現実世界における具体的な現象、客観的な記載、事実と理論を結び付ける記述、著者が展開する理論の一部という風に具体的な内容と抽象的な理論に関わる内容を段階的に執筆していくことが必要だというのが阿部流の論文の質を上げアクセプトに近づくための極意だそうです。
たしかに、論文の前半にケーススタディー・後半に理論的論戦が偏っているのではなく、主張の順序良い論証の各段落において、具体的な事実と整合性の取れる理論的側面がバランスよく遍在している方が、議論としての説得力が増すのも納得です。
詳しくすべて書き記すことはできませんが、特に「抽象度の低い内容と高い内容が多くその中間の分量が少ない、単語の抽象度が逆Uの字を描くように分布しているとよい」という「Uneven U」の理論などは執筆に直接的に役立つとても有意義な内容と言えるでしょう。
結論
本書は、『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』という平易明快なタイトルで、筑波大学准教授である阿部幸大さんが展開している論理術・文章術、そしてそれらのトレーニング方法についての本になっています。この本に興味が出た方がいたら、是非自分で手に取って一度は読んでみていただきたいです。本当に百聞は一見に如かず、感動する内容なので、是非。
本記事では、論文としての誠実性や、誠実な議論(テーゼを論証するアーギュメントとパラグラフの要件)などについて著者が著書の中で言及している事項の一部をご紹介し、私の実執筆体験を振り返ってその感想を簡単に書きました。アカデミックな書評ではない点についてはご容赦していただけると幸いです。ただ、長いパラグラフ、や十分に具体性と抽象的議論の意気渡った議論であること、など非常に興味深い学問を行うためのルールについてはご紹介できたと思います。
そしてこの本は、徹底的に実践の本となっているので、是非高校生から大学院生まで、いや大人まで、ご参考にしていただけると幸いです。それでは、また。

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