【意見形成・論文執筆術】情報生成プロセスと実存【人文系・コラム】

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[2024/12/06 5:00] 文字数:5345 [約18分で読めます]

おはようございます。
岡崎です。

今日は、すこし取り留めのない記事を投稿します。
記事の内容としては、特に人文学や社会科学の諸分野において質的調査法を選んでいたり、理論史的なことを考えている人と共有したい内容ですが、例えば就職活動の自己PRであったり、職場におけるプロジェクトマネジメントといった内容とも相通じる内容だと思います。

具体的には、組織の中で個人として活動する中で、情報がどのように生成され、受け渡されるか、またその際にどのようなカルチャーが介在することが意見形成や議論を助け、あるいは阻害するかという事について、私なりの処世術、そして自分の意見に正当性を与えるための方法論にが含まれています。

お伝えしたように、この内容は、就職のケース面接における構造化・論理的思考のスキルとは直接的には無関係です。これは、私が国際関係学に触れる中で考えていたような諸々のことを言語化してみたコラムなので、軽い気持ちで、組織というものが人間関係である以上確かにこういう性質の現象もあるよな、と共感しながら読み進めていただければ幸いです。それではどうぞ。

目次

いかにして情報をつくりだすか

初めにお断りしておきますが、私は情報工学に詳しいわけではありません。しかし、本記事の内容的には、情報工学と近しい内容を扱っています。インターネットが発達してきたかどうかに関わらず、人間の社会はずっと情報をやり取りしてきました。研究者や医者・法律家のように新たな知識が仕事の種になる人々以外の、芸術家や家庭における家族なども、日々情報を作り出しています。

そして、〈情報生成⇒意思決定〉のプロセスについて、理論的な観察を行っておくことは人生を生きる上で有利を与えてくれる習慣です。ある会社で生き残るには漢字と敬語の知識が絶対必要だ、とか、大学の研究室で生き残るには統計言語のスキルを最低限の基礎レベルまで身につけなければいけない、とかいろいろなルールがあると思います。しかし、そういう個別環境ルールを越えて人間の組織における意思決定全般と、それを支える情報生成過程について自分なりの考えを持っておくのは非常に大事だという、我流の質的分析による情報工学の観察結果が本コラムです。

情報は、人間によって形作られる。これは、大原則であり、どんな場所においても、その場所特有のルールやカルチャーを越えた上に、フラットな視点として、「どういうメカニズムで情報が生成され、意思決定が行われるか」という分析が有益な洞察をもたらします。

大学だったら教授の問いを起点に議論が始まる、であったり、企業であればマネージャーのファシリに基づいて議論と意思決定が円滑に行われる、という風な法則があると思いますが、むしろ、そういった状況個別的な事情に左右されない一般論としての意思決定論を自分なりに持っておきましょう、というのが本記事の主旨であり以下で議論している内容です。

本記事は、論文執筆中の大学生・大学院生や、企業で働く人々、芸術家の人々、主婦の人々など多くの人々が、コミュニティに属しながら自分の意思や意見を示すために役立つコラムとなっています。どこから読んでいただいても構いません。

本記事でははじめに、情報の生成には人が携わっていて、自分もそのサイクルの内部にいる一人の人間である以上、自分の感情力(EQなど)が重要であるという話をした後に、それでは具体的に、他人から独立して持っている自分特有のユニークな思考・アイディアをどのように組織における意思決定プロセス・知識生成プロセスに混ぜていくかという観点からの話をします。

共感・アライメント力(EQ)

共感する力は、自分の意見を形成するうえで最も基礎となる力です。何の抵抗もなく、すっと共感できる意見や考え方を採用することで、自分の意見形成が最もやりやすくなります。また、EQという言葉が現代社会において使われますが、共感は、感動と似た性質を持っています。忘れることができないほど激しく共感し、感動した経験(原体験)に基づいて自分の考え方を意見にまとめるオリジナル・スタイルを確立すれば、後々自分の方法論がそれと矛盾する確率が下がり、非常に有利な戦略です。

社会に存在するありとあらゆる組織・結社は、コミュニケーションを取ります。その中には、非常に高度に洗練されたアイディアもあれば、流動的な対話の中で交わされる意見もありますが、どんな会議・議論の壇上においても、人と自分が共鳴しながら意見形成が行われるという点について相違はありません。

その中で、出てきたアイディアを拾い上げ、検討し、まとめて、実行するというサイクルが実施され、情報は作られます。あらゆる人が人生において情報や知識を生成するサイクルに関わっています。研究者や作家に限らず、社会のほぼすべての場面・場所において情報は生成されています。例えば、極端な例ですが、通勤時にタクシー運転手と喧嘩をした、というエピソードひとつとっても、運転手から見ると「こういうクレーム客がいた」、客側から見ると「礼節に欠けた運転手がいた」という情報として記憶され、折に触れてその情報は取り出され、社会に流通します。社会で暮らすのは人間である以上、情報生成プロセスでは感情が大きな役割を果たし、その過程で共感する力が不可欠です。

他人との合意形成と妥協

他人と共感するだけではなく、議論や交渉を重ねる上では、適切な時点で妥協し、コンセンサスの形成を目指すこともとても大事です。芯をもって自分の主張を貫くのが大事な時もあります(後述)が基本は自分の主張を折り曲げることは他人との折衷の第一歩です。

そうした積極的妥協は、物事が前進するだけではなく、自分の内面で行われている弁証法的議論の正しさを客観的に判断する作用を持ちます。自分は妥協をしたけれどもやはり納得がいかず、自分の考えが正しかったという事なのか、脳内で作っていた論理関係が間違っていたのかを、他人とのコンセンサス形成の中で判断していきましょう。

反骨心・野心

鋭い視点は、仲良しこよしからは生まれず、批判的視角からの徹底的な検討が正しい意見を形成します。議論において良い雰囲気が大事なこともありますが、対立が途切れないピリピリとした会議が建設的議論な空気としてよりよい結果を招く環境も多々あります。そうした場面において個人のマインドセットとして必要なのが意地です。思考が行動を形作るのではなく、行動が優れた思考を作ります。なんにでも嚙みつきましょう。心怖じせずに議論を始めると、自分でもわかっていないほどの自分の意見の鋭さや、それによっておこる議論の有意味さに気づくことができます。

また、そうした違和感や恐怖心を、会議の場になるべくすんなりと曝け出すことも必要です。後から会議を批評するのは悪手です。自分の正しさをねじ込んで主張するくらいがちょうど良く、黙っていることが客観的に見ると実は反則になる場面も多いです。

ストレスへの耐性

どんな場であっても、あなたがそこにおいて居場所を占めたいと思う限り、あなたはその場のストレスへの耐性を獲得している・もしくは獲得していく必要があります。どんなに優れた実力や職務への適性があっても、ストレス耐性が無くては務まりません。また、一口にストレス耐性と言っても、心理的な安定感、言語運用能力上の不安、職務に必要な力や感覚における不安など、様々な構成要素があり、そのどれがどのくらい必要なのかを見極める必要もあります。

人間は、徐々に人格を変化させていく生き物です。新たな環境でとても緊張したり、長いこと居る環境に慣れてメンタルが安定したりもしますが、場のストレスと、自分が壊れない適切な程度で付き合うことは大事です。コミュニティとして全くストレスが無い環境であれば個人にとっては最高ですが、より良い情報生成のためには、しばしば、そのコミュニティの全員が適度な緊張感を感じている必要があります。そして、コミュニティは緊張感を生み出すために意図的にストレスの多い環境を作り出します。その場で生き残りたいのであれば、緊張はしつつもストレスをものともせず議論に食いついていくくらいの意気が必要です。

情報生成におけるコミュニティの役割

情報は、組織において生成され、組織の成員によって生成されますが、組織は制度として存在しているだけでなく、カルチャーとしても存在し、情報生成を触媒します。例えば、どれだけ力不足もしくは役不足で仕事を持て余していたとしても、最終的に職場・学校コミュニティの中で満足のいく地位を占めることができれば、コミュニティとしては丸く収まっているわけです。

情報は、究極的には個人が生成し、社会に送り出すものですが、大雑把には、コミュニティから世に問われる情報が多いです。本ブログにしてみても、WordpressコミュニティやXコミュニティ、個人ブログ界隈の小さな隅っこに位置している情報だと思いますし、会社のプレスリリースやウェブサイトも、作成者個人の顔は見えないまま、会社というコミュニティごと世に発信されます。つまり、コミュニティと上手くかかわるという処世は非常に重要です。

自分本位/主体性/自主性

自分が組織に属する個人として資料をつくったり、発表をしたり、研究成果をまとめなければいけないときには、コミュニティに所属しながらも、自分という個人単位で動かなければいけません。先ほどの内容と矛盾しているじゃないか、コミュニティとして社会に情報が発信されるなら自分勝手なことが書かれていてはいけないじゃないか、という指摘を受けそうです。しかし、自分の人生の主導権を自分で握って前進するうえで、自分を中心に物事を考えることが必要になる場面は案外多いです。自己紹介をする際に、なぜ、どういった目的で生きているのかを常に説明できる状態にしておくことで社会における自分が位置付けられ、組織においてもより適した役割を担うことができます。

コミュニティの安定を重視するあまりに、個人の主体性を奪う組織は非常に多いです。教育業界でも、偏差値偏重教育や、採用業界でも一括採用などというように個人の主体性を重んじない現状を揶揄する言葉がありますが、コミュニティにおいて、なぜ「俺が・私が」これを言いたいのか、どのようにしてそれを伝えたいのかという個人の動機を強く持ち、絶対に失わないことが大事です。どんなに優秀な人でも、これを忘れがちだと思います。

人はみな複数のフレームにまたがって生きています。A社がダメならNGO・Bであったり、他の集団に移っても自分がブレないためにも、自己中心的な自分の姿を内面で描き続けることが必要です。

思想の孤島

上のパラグラフの話とつながっていますが、個人が頭の中で作り上げている思想は、本来非常に閉じた性質のものです。ふつう思想は真空パックのように、社会に出ることはありません。しかし、他人や組織と交流・作用の中でのみ、これらの孤独な思想は自分の外へと表出します。この表出は、自分の言葉・思考を他人ひいては大きな社会に提示して、フィードバックをもらうという会話のプロセスであり、自分の内部で作られている孤島で積みあがった思想と、社会から還元される新鮮な反応のバランスを意識することが、情報生成プロセスにおいては非常に大切です。

自分が、会社のメンバーとして、あるいは創作者として、あるいは研究者として、等々、社会に問う命題があるとします。これは、B社への提案書でも、学会に発表する一本の論文でも同じです。これは、個人にとって痛切で強烈なモチベーションに基づくものであれば理想的です。個人は社会から隔絶された存在ですが、それでも社会と言葉を使って、情報を使ってつながることができます。私という内面が社会という世界と繋がる、孤島から大陸に橋を架けるようなこのプロセスは、素晴らしいものです。

私が、今、この世界に実存しているというその一点を、世界に対して主張する活動が言語・情報を介したコミュニケーションです。社会との対話とは、本来そう言った素晴らしいプロセスであり、情報生産の一端を個人で担えるというのは、私たちにとっての喜びであるはずだという事を常に再確認していきましょう。

まとめると

以上の内容は、私が大学で勉強をしながらぼんやりと考えていたことなので、あまり真面目にとらえすぎないでいただけると幸いです。しかし、たれもが社会の成員として、自分の考えを言葉を使って社会に還元し、そうして情報を形作っていくというサイクルに例外はない以上、あまり私の述べていることが間違いだとも思いません。

一言で言うならば、ストレスと折り合いを付けながら、逃げないで済むくらいの緊張感のコミュニティに所属しつつも、個人の怒りや知的好奇心といった感情を忘れずに情報生産に携わり、社会と上手く付き合っていきましょう、という内容でした。

皆さんの情報生産ルーティーンのお供にしていただけると幸いです。それでは、また。

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この記事を書いた人

岡崎 良のアバター 岡崎 良 サイト運営

こんにちは。岡崎良と申します。元イギリス留学生で、現在は大学院への進学を控えつつ本サイトEnlight/Intl. Relations HUBを運営させていただいております。国際関係の中でも東アジアの地域協力、日本政治思想史、戦後の移行期正義に興味があります。

北関東の田舎から英国の田舎へ流れ着いておととし2021年より本ウェブサイトをX(旧:Twitter)やYoutubeチャンネルと併せて運営しています。

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