25分で読める分量の記事になっています。[2025年5月6日最終更新]
はじめまして。
お初にお目にかかる方に向けて自己紹介をさせていただきますと、岡崎と申します。
日本人の大学院生で、学問領域の区分で大まかに言うと「文系」、細かく言うと「社会科学」、さらに細分化すると「国際開発協力」、一番細かく現段階で狭まっている研究テーマについていうと「東アジアの国際開発協力分脈における中国の役割」を研究しています。イギリスから日本に帰ってきた者です。
本ブログでは、イギリスの学部時代の経験・イギリスに進学準備をしていたときの高校時代の経験・現在の文系大学院時代の経験をお伝えしています。
いまいちど自己紹介
私は、茨城県出身です。大学は、IBという制度(後述)を活用してイギリスのRHUL(ロンドン大学のロイヤルホロウェイ校(皆様が良くインターネットで目にするUCL・KCL・LSEとは違います。違いますがグループ校です))で国際政治・国際関係を学びました。2024年7月に同大学(法・社会科学部)を卒業後、2025年度で名古屋大学大学院に入学し、現在国際開発学研究科の博士前期課程1年生です。

RHULから名古屋大学院へ進学しました。以後東京で就職する予定です。

そして、分かりやすく言うと、私はいわゆる「文系学生」です。大学学部では国際関係BA、大学院博士前期課程では国際開発学MAの課程に在籍している、文系の中でも《学際的》な側面を持つ学問を専門領域としています。
国際政治学・比較政治学・国際関係学・国際開発学・平和学などは、政治学・経済学・法学・歴史学・文学・社会学など人文・社会科学の諸分野の手法や理論を引用しながら探求が行われる学際的な学問だと言えます。
このシリーズは何かというと、高校で全く何の社会科科目も勉強しないままにイギリスの大学で国際関係・国際政治を学んだ自分が現在日本の地方大学院で、何を学ぶのか、そして学びを効率的に戦略的に深めるうえでどういったアカデミックな技法に着目して探求を進めているのかを半ば自分にフィードバックする形で皆様にできる限り簡潔にお伝えしていこうというアイデアによるブログです。
社会科学へのこころ構え
本シリーズでは大学院生が「社会科学を学ぶ」というときに、頭の中ではどういうことを考えているのかを皆様にも気軽に共有するということがテーマになっています。
「社会科学」という括りは大きな括りです。
「社会科学」というのは、学問領域の括りでもあり、学問手法の括りでもあります。前者は、それぞれ学問分野の群島があるとして、社会科学が扱う分野として心理学、社会学、政治学、歴史学、文学などがあるという考え方で、後者は、学問手法ごとの区分になっています。
もちろん、学問にはそれぞれ固有の手法と領域がありますが、社会科学は、手法でくくった方が良いと思える明確な理由があって、研究手法や学問手法ごとに社会科学の諸分野を整理していくと、言語の壁を越えて世界の社会科学研究と日本語の社会科学研究をつなぐことができ、結局領域ごとに区切っても人文・社会科学の諸領域は《学際的》に知識が混ざり合っていく(相互に引用・参照しあい分野が発展していくから)ことになります。
例えば、イギリスの行動政治学(political participation studies)は、アメリカでは投票政治学(electoral politics)に近い分野だと思います。
「意味」と「言葉」は対応していて、言語が異なれば存在する研究分野も異なります。定量と定性分析や、歴史的な公文書の解読、聞き取り調査など、研究手法ごとに研究分野を分けると、英語圏や海外の研究者と意見交換をする際にもスッキリ行くので納得感があり、「言葉」を用いて学問をする上では「意味」で場所を分けるのと「方法」で場所を分ける二つのメソッドを併用し、後々それら領域が混じりあうことについては許容するしかなくなると思います。
そして、理系の研究とは大きく異なる点として、遍く研究のリテラシーとして「書き方/読み方」と「研究手法」を学んでいくという社会科学研究・人文学研究の大きなテーマがあります。自然科学では実験を行いますが、社会科学ではアカデミック・リテラシーをきちんと学ぶことが求められます。
アカデミック・ライティングとメソドロジー
アカデミック(学術的)な技術・技法を学ぶことができるのは、大学院の利点です。これは、高等教育の利点とも言えます。高校や中学では、学術的なテクニックやメソッドを学ぶことができません。
もちろん学術的なスキルを身に着ける基礎となるのは暗記した知識であったり議論を進めるための論理力・創造力であったりするため中等教育の内容もアカデミック・ライティングを学ぶ上では非常に大きな役割を果たすということは自明です。


阿部幸大氏の著書
『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』は、人文学の最新書籍でありながら古典的な大学文章術の本が備える明快かつ論理的な指南を併せ持つ。学術的な書き方(と、それと表裏一体である学術的な読み方。つまり、読み書きをする力あるいは、リテラシー)の身に着け方を例を用いて教授してくれます。
人文学・社会科学・自然科学それぞれの魅力
人文学・自然科学・社会科学それぞれに対して、あなたはどのようなイメージを持たれるでしょうか。
よく、自然科学の探求で言われるキーワードは「再現性(Reproducability)」ですよね。実験を誰が、どの環境で再現しても同じ結果が得られるような条件を書き表すことができて初めてそれは実験の記述として正しさを獲得するというような意味だったと思いますが、それと対になる様にして、社会科学では聞き取り調査や、歴史学であれば公文書、政治学でも機密解除された外交文書の調査などが調査手法となるためにそうした「再現性」のある実験が不可能である、という逸話(?)があります。
そうすると、人文・社会科学の正当性の要はどこにあるのか。
この問いは、以下2点の大きな問いとも関わっています:①なぜ日本の高等教育(特に大学学部)では文系学部の地位が自然科学に比べて著しく低いのか、②社会科学の研究実績は、自然科学の実験室で生まれた知見に比べて、産業(実社会)への転移可能性が低いように思える。実際に文系研究室での研究成果が社会で活かされる回数は少ないがそれはなぜか。
前述の阿部氏は、人文学の役割は暴力の否定であるという旨の主張を著書においてしておられました。私も同感です。結局人文学は、人間性を研究する学問です。そして人間性は回りくどいやり方で暴力を否定するものです。自然科学以上に、人文学は人と人との特殊な形態における対話になっており、その対話に若者が食いついていくのは大変なチャレンジになります。それは若手研究者にとっても同様の事が言えます。
人文学における学者間の対話(ConversationやArgumentというよりも, Dialogueです。時にはControversyを含む)というのは、永遠に人類史に刻まれるものです。学問は誰にでも門を開いていますから、別にインドの高校生だろうが日本のお年寄りだろうが社会や学術界における人文学的な「対話」に貢献を出来るのであればだれでも歓迎なのです。
しかし事はそう簡単ではない。一度正鵠を射る真実をいえば良いのではなく、人文学研究者は人文学に貢献するために研究成果を世に出さなければいけない訳です。この「学問と社会との関わり方」は社会科学にも同様のことが言えますが、20代のうちに学問的対話の主流に乗ることは非常に困難だと言っていいでしょう。例えば、人文学に若くして貢献した人も多くいると思いますが、その例として、銃撃を生き延びたマララ・ユスフザイさん等が分かりやすく挙げられると思います。彼女の言葉は、一語一語が大きなインパクトをもって社会に受け入れられました。人文学とはそうして社会にインパクトを還元していくものです。
また、人文学のテーマが暴力(あらゆる形態の暴力と、その廃絶に向けて)であることも言えます。
社会科学
それでは、社会科学はどうでしょうか。詳しく見始めると、社会科学の研究手法にも計量社会科学と定性的な調査を行う社会科学(手法:エスノグラフィー・フォーカスグループインタビュー・聞き取り調査・文書調査・言説分析等)がある、という風に無限の細分化が可能ですが、取り敢えず社会科学(特に国際関係分野)においてよく教えられる逸話をご紹介します。
それは、ペトリ皿と試験管の逸話(in vitro / in vivo 実験)、あるいは実証主義者とポスト実証主義者の論争、絶対主義と相対主義・解釈主義者の論争、研究材料と研究対象に足を運ぶことの重要性、というように色々表現が変わって何度も登場する問題です。
政治学を研究する場合、どのように研究を行いたいと考えるでしょうか。政治学における一次情報・一次文献とはどのようなものになるでしょうか。国際政治における日本政府や日本の研究者のアプローチを分析しなければいけないならば、イギリスで書かれた二次文献よりも日本で書かれた一次文献を元にする方が文脈を正しく捉えられるでしょう。
ウンベルト・エコは、研究をする場合、一次文献へのアクセスが不可能なような研究テーマを選んではいけない(例えば、中国語が読めない、アメリカの公文書館に足を運べないなど)と指導しています。あなたが国連の役割について研究したいならできれば一度はアメリカに足を運んで国連の職員にインタビューをしたいと考えるでしょう。
研究対象をよく知るのは一筋縄ではいきません。それはインターネットと生成AIの普及によって大きく変わったかと思われがちですが、その根本は何世紀も全く変わりません。そういう訳で、イランについて研究したい学生はイランに行ってみるのが良いし、アフガニスタンを研究したい人はアフガン人の知り合いに連絡を取るべきなのです。
小熊英二さんの著書にも似た逸話が示されていました。詳細は確認できないので、後で確認する必要がありますが、日本人がナショナリズムを作り上げていく時期に外遊しながら各国を見て回る中で、アメリカでは20世紀の政治科学はエリートの学生がアメリカにおいて学ぶ学問であり、そこで論じられていた内容はまるで机上の空論であった。その反対にインドでは列車の周りに群がる若い人々が目を輝かせており、熱心に政治について論じていた、というような内容だったと思います。
文化を知り、言語を知り、一次文献を紐解いて情報にアクセスすることが社会科学研究において相当重要なのは言うまでもないですが、社会科学現象は再現性が無いからこそ、「ペトリ皿」あるいはin vitroで全容を捉えることはかなり難しいと言えます。まあ研究に失敗して学びを得たっていいのですが、そうでないやり方を選びたい研究者・学生の方も多いです。
社会科学でも統計的に有意なデータの解釈を通して真実らしさを追い求める分析も可能ですが、例えば2020年ー2022年のアジアにおいて、Covid-19が流行った場合と流行らなかった場合を比較することなどはできず、それと同じように、どんな社会科学研究も解釈次第な相対主義的なものになります。
本連載のトピック/結語
本連載は、ブログなので、気軽に書きますし、気楽に読んで頂けると嬉しいです。就活をしながら研究をしている名古屋大学院生はこんなことを考えているのか、という頭の中を曝け出しています。
そして、社会科学(開発学)の研究を進めるにあたって、私自身、今まで学んできた社会科学(国際関係論)との関係性を振り返り、整理しながら一歩ずつ前に進んでいきたいと考えています。
そういう事情で、アウトプット媒体として本ブログを選び、開発学と国際関係論と現象としての国際政治、そして日本の大学院生活と就職活動、さらに社会科学と人文学についてコラム的に不定期更新をしていくつもりです。
社会科学は、ある意味で自然科学や人文学より明瞭簡潔、Straightforwardな学問です。研究もやりやすいです。
ただ、情報へのアクセスが難しいポイントだと考えています。
情報へのアクセス回路が増えれば増えるほど、過去の自分の学問への理解が浅かったことに気づいたり、新たな視点が加わったりして面白いものの見方ができるようになっていく過程は楽しいものです。そうしたメタ認知的視点を活用し、学問手法でいうと認識論的な整理を進めながら、研究と執筆を半ば趣味として、半ば学生の本文として続けていこうと思っています。
ひとまず、次の記事は、IB(前述。日本の高校生が活用できる海外台進学のための1アプローチ)、研究の始め方(研究序盤、第1稿に向けた構成)、簿記や英語資格試験などの就活に役立つ資格についてのいずれかの記事を書こうと考えています。次回更新日は未定です。よろしくお願いします。
文責:オカザキでした。

コメント